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2012.05.02

パウロ・ゴメス氏 逝去 2

パウリーニョに初めて会ったのは、98年頃だったでしょうか。

私はそのころ、ダミオンの奥さんのミチコさんが率いるパゴージ・バンドに参加していて、そこでギターを弾いていました。よくスタジオに入ってリハーサルをしているうち、一度プロのブラジル人にアドバイスをしてもらおうということになり、パウリーニョがスタジオに来たのです。

彼の名前はもちろん知っていたので、すごい人が見に来ちゃったな、と緊張しながら演奏を披露しました。「メンバーお互いのやってることをよく感じ取って、その刺激をうけたものを演奏に出しなさい」みたいなことを言われた気がします。そのアドバイスは当時の私には上級すぎて理解できないものでしたが。。それよりも、忙しい彼が時間を割いてど素人のようなバンドに付き合ってくれていることに、驚きました。


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それから何年か経って、ホームと言えるほどお世話になっていた高田馬場「コルコヴァード」で、自分のセットにお呼びして弾いてもらいました。右は当時パーカッション専門だったホブソン・アマラウ。ブラジル人二人に支えられての演奏は天にも昇るグルーブ感です。

日本のなかのブラジル音楽事情は、何年か単位で移り変わりがあります。「コルコヴァード」があった頃はセッション型のライブが目白押しで、本番で譜面のコードだけを見て自由に演奏できるミュージシャンが華やかに活躍していました。パウリーニョはその中でも最たるセッション・ミュージシャンで、彼が参加してるインストのライブなどを見に行くと、空いた手でサインのようなものを出してコードの指示をしていることもありました。そういう時が彼は一番楽しそうでした。

ライブで一緒になるとよく、「あなた優しそうだけど、怒ったらたぶんすごくコワイね!」と冗談を言われました。そう言っているパウリーニョ自身、にこやかで柔らかい物腰のなかにも、マイペースを曲げない芯のようなものがありました。嫌いなことが話に出ると、いつも「私それ知ラナイ」と笑って言いました。全てにおいてサラっと自然にまかせ、中庸を行くような人でした。

ある時のライブでは、控え室での雑談のときに「裸足で歩くことは大切だ」と言っていました。足の裏で直接大地を感じないと、人間は自然の感覚を失くしてしまうと。それ以来、水辺に行って靴を脱いだりすると、パウリーニョの言葉が思い出されるようになりました。

最後に彼の演奏を見たのは、ハイアットホテルの中にあるラウンジです。彼は入院するまでの数年間は、ほとんどここで毎晩演奏していたかと思います。スタジオのレコーディングよりも彼はとにかく生演奏が大好きだったのでしょう。世界各国からの耳が肥えたお客さんを、誠意ある演奏で楽しませていました。そしてホテルの仕事の合間を縫って、自身のバンド「Som Brasil」のライブをやっていました。

*  *  *  *  *  *

今週、目黒の教会でお通夜があり、お別れをしてきました。
なんともまだ、お悔やみの言葉でしめくくれるような気がしていません。

なので私が彼について知っている思い出を、ほんの少しではありますが、こうやって書いてみました。


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